TL;DR 台湾炭素取引所が1年半で5件しか成立せず、市場の機能不全に見える。しかしSSBTiの立場と童慶斌教授の見解は明確だ。炭素賦課金300元の制度設計は、企業に「自ら削減させる」ためであり、「炭素クレジットを買わせる」ためではない。 同じサプライチェーンに三つの炭素価格(300元・3,000〜4,000元・CBAM約2,790元)が引き裂くのは政策の正誤ではなく、企業の準備度だ。真の「炭素経済思考」とは、政府が炭素価格を引き上げるのを待つことではなく、企業が自らinternal shadow priceを引き上げ、SBTi・TNFD・CDPの三軌による第三者検証と組み合わせることにある。これがSSBTiの一貫した立場だ。
同じサプライチェーン、同じ1トンの炭素が、今日の台湾では三つの価格を持つ。
政府に納めるものは炭素賦課金と呼ばれ、1トンあたり300元だ。炭素取引所のプラットフォームで炭素クレジットを購入すると、1トンあたり3,000〜4,000元になる。製品をEUへ輸出する場合、CBAMが算定する対応炭素コストは1トンあたり約2,790元となる(2026年Q1の証書価格75.36€/tで換算)。
UDNが先週掲載した「陽光行動」特集が報じた数字は、多くの人を驚かせた。炭素取引所の価格指定取引プラットフォームで、1年半の間に成立したのはわずか5件、69トンだ。
多くの評論が最初に示す反応は「市場が機能不全に陥った」というものだった。しかしSSBTiと童慶斌教授(台湾大学生物産業機電工程系教授、SSBTi名誉理事)の見方はちょうど逆だ。これは機能不全ではなく、制度設計が成功した証拠だ。 本稿では、この反直感的な判断を丁寧に解説し、企業が本当に取り組むべきことを提示する。
5件の成立は市場の機能不全ではなく、制度の成功だ
童慶斌教授が2026年5月12日にSSBTiへ送ったメッセージは、核心を鋭く突いている。
「炭素賦課金がわずか300元で、しかも優遇料率もある。これでは炭素クレジットへのインセンティブは生まれない。カーボンニュートラルへの道は険しく、炭素クレジットの需要も抑えられる。ネットゼロでは2050年の残余排放にのみremoval carbon creditが使える。これらの要因がすべて炭素クレジットの発展を制約している。」
SSBTi理事長の汪瑞民(Raymond Wang)は2026年5月12日のFacebook公開投稿でSSBTiの立場をさらに明確にした。
「炭素クレジットは削減ではない。企業管理と第三者検証こそが、ネットゼロ目標の削減を真に実現する。」
この判断の核心はここにある。炭素賦課金300元に自主削減の優遇50〜100元を加えた制度設計は、「安く買える」ことを意味しない。政策が自ら引いた境界線だ。企業は他者の削減量を市場で購入して対応するのではなく、自社工場の削減に投資すべきだというメッセージである。
言い換えれば、5件の成立は市場が病んでいる証拠ではなく、制度が設計の意図を発揮しているということだ。問題は政策の強度が不足しているのではなく、台湾の大多数の企業がこのシグナルをまだ受け取れていないことにある。「最も安いコンプライアンスの経路を探す」という古い発想で、「自ら削減することを迫る」新しい制度に向き合い続けている。
三つの価格、二つの世界:引き裂かれているのは企業の準備度だ
三つの価格をEU向け輸出のサプライチェーンに置いてみると、興味深いことが見えてくる。
EUへ輸出する台湾の製造業はすでに、CBAM(約2,790元)と欧州顧客のサプライチェーン契約によって国際水準への対応を迫られている。一方、国内向けのみの台湾企業に政策が求めるのは300元の炭素賦課金だけだ。この二つの世界では価格シグナルの強度が約9倍異なる。しかしこの差は「政策シグナルが弱すぎる」証拠ではなく、二種類の企業準備度を映す鏡だ。
EU向け企業はすでに市場から迫られ、内部の炭素棚卸し能力・第三者検証・サプライチェーン炭素データガバナンスを構築している。これらはSSBTiが一貫して提唱する「第三者検証+データガバナンス」の核心だ。国内向けのみの企業は300元の炭素賦課金しか見えておらず、「割に合うなら払う」というコンプライアンス水準の発想にとどまっている。
だからこそ私はこう言う。台湾のサプライチェーンを本当に引き裂いているのは価格ではなく、準備度だ。 同じ会社がEU向けラインではCBAM仕様、国内向けラインでは炭素賦課金300元仕様で動かしており、二つの削減投資ロジックが衝突している。しかしこの矛盾の解決策は「政府が国内向けの炭素価格を引き上げるのを待つ」ことではない。企業自身が決断することだ。EU向けの基準を国内向けにも適用し、統一された内部炭素経済のロジックを構築する。
「炭素経済思考」は企業内部のframingであり、政府を待つことではない
この企業内部のframingを私は「炭素経済思考」と呼ぶ。他の三つの主流的な思考と対比すると分かりやすい。
炭素コンプライアンス思考は炭素をコストとして処理しようとする。「政府が払えと言うから払う、報告せよと言うから報告する」という姿勢で、最低限のコンプライアンスを追求する。台湾の大多数の国内向け企業は今ここに留まっている。300元が安いから、払って終わりにしている。
炭素技術思考は炭素を工学的に解決すべき課題として捉える。「省エネ設備を入れ替え、製造プロセスを最適化し、ESGレポートを整える」。企業内のESG部門やコンサルタントには馴染みのある思考だが、盲点がある。経済的な動機がなければ、技術は導入されない。
炭素倫理思考は炭素を「すべきこと」として捉える。「地球のため、次世代のため、企業の社会的責任」。コストを計算し続けている中小企業の大多数にとって、動機は薄い。
炭素経済思考は炭素を企業内部で投資可能な資産として設計する。核心となる問いは「政府はいつ炭素価格を引き上げるのか」ではなく、「企業として、internal shadow priceを自らCBAMの水準(2,790元)まで引き上げ、内部のすべての削減投資判断をその価格でNPVを計算する意志があるか」だ。
決定的な違いはここにある。炭素経済思考は政府が政策を変えるのを待たない。企業のCFOとサステナビリティ責任者が共同で決断する。EU顧客との長期的な整合のため、SBTi・CDP・TNFDによって検証可能な削減経路を構築するために、自社でinternal carbon pricingを採用する。
これは童教授とRaymond Wangが主張する「企業管理と第三者検証こそが真のネットゼロ実現だ」と同じロジックだ。責任は企業側にあり、政策側ではない。
削減技術は常に存在してきた。企業内部の試算表に阻まれているだけだ
SSBTiの循環経済パートナーとして現場で感じてきたことは明確だ。削減技術は常に存在している。
製造業が電力原単位を下げ、低炭素燃料に切り替え、排熱を回収し、圧縮空気システムを最適化する。技術はある。現場もある。しかし多くの企業が動かないのは、経営者の試算表で使われている炭素価格が300元だからだ。
典型的な例がある。ある中堅製造業が排熱回収システムを評価した。年間1,000トンのCO₂削減が見込まれ、初期投資の概算は1,000万元だ。300元の炭素価格で算定すると、「炭素の価値」は年間わずか30万元となり、回収に33年かかる計算になる。案件は止まった。
しかし企業が自ら決断してinternal shadow priceをCBAMの国際水準である2,790元まで引き上げたとする(内部投資のベンチマークとして採用した場合)。同じ工事の「炭素の価値」は年間280万元となり、3.6年で回収できる。投資不可から投資可能へと転換する。
鍵は「企業が自ら決断する」という点だ。政府が炭素賦課金を引き上げるのを待つのではない。「EU対応はいずれこの水準に達する、SBTiの経路にはこの水準が必要だ、CDPの申告にもこの水準が必要だ」と認識した企業が、この価格を内部の投資判断に自ら書き込む。それが「炭素経済思考」の実践だ。
SSBTiの三つの解決策:TNFD・SBTi・CDP。より多くの炭素クレジットではない
「炭素クレジットが買えない、買っても認められない、買ってもグリーンウォッシングのリスクがある」という状況に対して、SSBTiの公式な解決策はより多くの炭素クレジットではない。企業管理の本質に立ち返る三つの科学的経路だ。
1. TNFD(自然関連財務情報開示タスクフォース)
生物多様性の観点から切り込む。植林や生息地の保全は「炭素クレジットへの交換」ではなく、「自然資本」の開示として位置づけられる。この経路は、製造業のサプライチェーン管理、特に農林水産業の上流において実質的な意義を持つ。
2. SBTi(科学的根拠に基づく削減目標)
環境全体の主機(Environmental Mainframe)の観点から切り込む。重点は企業自身の炭素棚卸しが第三者検証(ISO 14064-1・14067・14044)を通過することだ。真の削減における信頼性は、炭素クレジットの購入からではなく、検証可能な科学的経路から生まれる。SBTi Net-Zero Standardは、1.5°C経路において90〜95%の物理的削減が必要であり、残余排放の5〜10%のみが永続的な炭素除去(DAC・強化風化・バイオ炭)に使えると明定している。Avoidance creditはネットゼロの手段として認められていない。
3. CDP・申告システムとの連携
企業の顧客側申告システム(CDP、EcoVadis、ブランド顧客のアンケート)の観点から切り込む。削減の成果を、購買側に認められる申告データへと転換する。SSBTiはこの分野ですでに複数の成功事例を積み重ねている。
三つの経路に共通する骨格は「第三者検証」だ。企業自身が外部監査に耐えうる炭素データ能力を構築することを意味する。炭素クレジットの購入は補完的な手段であり、主菜ではない。
CBAM篇の「炭素データ主権」と同じサプライチェーンの軸線
前稿のCBAM記事では「炭素データ主権」という概念を論じた。炭素データの主権が誰の手にあるかが、誰があなたの価格を決めるかを左右する。あの記事は国際軸の話だ。EUが2,400ページの既定値文書であなたの排放量を代替算定するとき、定価権は相手側にある。
本稿はその国内軸の姉妹篇だ。企業が300元の国内向け炭素価格を試算表のベンチマークとして使い続けるとき、サプライチェーン全体の削減投資ロジックはその水準に固定される。二篇の主張は実は同じだ。企業は自ら炭素データ能力を構築し、internal shadow priceを自分で決めるべきだ。他者に価格を決めさせてはならない。
- CBAM篇:EUにあなたの炭素排放量を代替算定させるな
- 本篇:政府にあなたの削減投資の価格水準を決めさせるな
- 二篇合わせて:第三者検証+内部炭素経済思考=完全なサプライチェーン炭素ガバナンス
結論:炭素クレジットは削減ではない。企業管理+第三者検証が本物だ
UDNの5件、69トンに戻ろう。
これは市場の機能不全ではなく、制度設計が成功した証拠だ。政府は300元によって企業に伝えている。「自ら削減に投資すべきであり、市場で他者の削減量を買うべきではない」と。問題は、台湾の大多数の企業がまだこのシグナルを受け取れておらず、「自ら削減することを迫る」制度に対して「コンプライアンス思考」で向き合い続けていることにある。
ここから抜け出すために必要なのは、より多くの炭素クレジットプロジェクトでも、より高い炭素賦課金でもない。framingを切り替えることだ。炭素経済思考へ。企業のCFOとサステナビリティ責任者が共に内部のshadow priceを国際水準まで引き上げ、削減をSBTi・TNFD・CDPの第三者検証に耐える投資ポートフォリオとして経営する。
これこそSSBTiが一貫して提唱してきたことだ。
炭素クレジットは削減ではない。企業管理と第三者検証こそが、ネットゼロ目標の削減を真に実現する。
炭素クレジットはネットゼロ経路の「最後の1マイル」のための手段の一つにすぎない(ネットゼロ経路における残余排放5〜10%に使うremoval credit)。主菜ではない。 主菜は常に、企業自身の内部における棚卸し・検証、そして定量化可能な物理的削減だ。
この思考の出発点は一つの事実を認めることにある。300元が決めるのは政府の政策強度ではない。企業がコンプライアンス思考から抜け出し、自ら炭素経済思考へ切り替えるかどうかの選択だ。
企業が300元で内部投資判断を試算し続けるとき、その企業はすべての削減技術提供者・削減投資家・削減系スタートアップに向かってこう言っていることになる。「この件は我々の会社では大した価値がない」と。その一方で私たちは嘆く。「なぜ台湾に削減ユニコーンが生まれないのか」「なぜグリーンエネルギー技術は欧州にしかないのか」「なぜ我々のサプライチェーンは国際ESG基準に追いつけないのか」と。
答えは政府の価格ラベルにはない。各企業自身の試算表の上にある。
📌 SSBTi公式立場声明
本稿はSSBTiが2026年5月12日に表明した炭素クレジット市場問題に関する公式立場を延伸している。 「炭素クレジットは削減ではない。企業管理と第三者検証こそが、ネットゼロ目標の削減を真に実現する。」
完全な立場文書はSSBTi理事長Raymond Wang(汪瑞民)が正式に発表し、童慶斌教授(台湾大学生物産業機電工程系教授、SSBTi名誉理事)による炭素クレジット市場の四つの構造的制約に関する判断を引用している。SSBTiの公式論述に疑義がある場合は、SSBTiの正式発表版を参照されたい(SSBTi Facebook公開投稿 2026年5月12日 / SSBTi公式サイト)。
本稿は著者がSSBTiの循環経済パートナーとして行う個人的な観察の延伸であり、論述の方向性はSSBTiの立場と一致しているが、具体的な用語や例示は著者個人の執筆判断による。
本稿はUDN陽光行動特集「需給不均衡:炭素クレジット価格指定取引、1年半でわずか5件成立」(2026年5月12日)を延伸したものだ。本稿と前稿CBAMと炭素データ主権は互いに姉妹篇をなす。前者が国際的なデータ面の攻防を論じるのに対し、本稿は国内企業側のframingの転換を論じており、両者はSSBTiの「第三者検証+企業管理」という核心的立場を共に呼応している。


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