TL;DR — 一行もコードを書かなかった。一文でClaude Fable 5に頼み、paulkuo.twのホームページに水墨インタラクティブマップをつくった。和紙テクスチャ、マウスで攪拌できる墨、十五秒後に世界が薄墨に褪せて台湾が浮かび上がる。かつてエンジニアが数週間かけていたことが、数時間の対話でプロトタイプになった。これはその協働の完全な記録だ。

このマップはホームページに置いてある。呼吸する水墨画のような世界地図だ。そしてFable 5との協働の記録でもある。一行もコードを書かなかった。始まりは一文だった。「和紙の質感があって、墨が流れて、マウスで操作できる日本式水墨サイトをつくりたい。今この瞬間の世界を象徴するものとして。最後の画面で、台湾を浮かび上がらせてほしい」

この文章は「文明と人間性」シリーズの一部だ。

一文で、Fable 5は何をしたのか?

Claude CoworkのウィンドウでFableを動かし、デプロイはClaude Codeに渡した。一文からホームページの背景を組み上げていく。Fable 5は自動で流体シミュレーション、和紙テクスチャ、墨色の暈しを生成し、マウスで操作できる世界地図を完成させた。そこからは反復的なやり取りだ。

墨が濃すぎてテキストが隠れると言った。透光感のある彩墨に変わった。

赤・緑・青の層がほしいと言った。群青、青緑、朱色が調合され、それでも水墨の気配の中に収まった。

台湾を浮かび上がらせてほしいが、縮尺は歪めないでほしいと言った。台湾は実際の縮尺に戻り、誇張した拡大はなくなり、代わりに墨の暈しで視線を誘導するようになった。

AI協働の現場はどんなものか?

指示を実行するだけではなかった。修正のたびに自分でスクリーンショットを撮り、自分で確認し、自分で検証し、自分で修正した。

「自分が要求を出して、ゆっくり実装してもらう」という、数日前まで当たり前だったワークフローではもうない。新しい協働の現場に近い。人間は意図・センス・判断を出し、AIは生成・テスト・近似を担う。

マウスが攪拌するのは墨であり、秩序でもある

ページはインタラクティブだ。マウスで墨を攪拌すると、大陸の境界が渦に巻き込まれ、既存の秩序がある力によってそっと乱される。地政学的な緊張を予告するように。手を離すと、墨はゆっくりと沈み直し、世界が元の形に聚合する。

十五秒後、すべてが静まり返る。世界が薄墨に褪せ、見慣れた島が浮かび上がる。初稿ではこれが絵の焦点だと書いた。後でその一節をAIに見せると、Fableは「落款」感の方がいいデザインだと答え、こう言った。この絵にはまだ印章が足りない。だから今は、島の傍の海面に朱印が押し下ろされ、最初は深く、やがて沈むように、本当の印を押すように。墨色の世界の中で唯一の朱い点だ。

数週間から数時間へ:創ることと実装することの距離

かつてエンジニアが数週間かけて調整していたインタラクティブ表現が、高密度な対話の数時間でプロトタイプになる。効率が上がっただけではない。創作と実装の距離そのものが書き換えられている。今すぐFable 5を試してみることができる。「長タスク時代」に入った後の体感は、もうかつてとはかなり違う。

数年前の夏、友人とAIの変化について話した。もう特異点の縁に立っているんだと言った。友人は聞いて、考えすぎだと思ったようだった。

Anyway, time will tell.

そして今、時間が答えを出しつつある。確かに新しい時代に歩み入っている。人間はもう技術が想像を実現してくれるのをただ待つだけではない。改めて問い直すことも必要だ。自分が本当に何を見たいのか、何を判断するのか、最終的に何を残すのか。

混沌の中で、世界を見る自分の方法を持ち続ける

『二都物語』の冒頭が頭に浮かぶ。

It was the best of times, it was the worst of times, it was the age of wisdom, it was the age of foolishness, it was the epoch of belief, it was the epoch of incredulity…

最良の時代であり、最悪の時代でもあった。知恵の時代であり、愚かさの時代でもあった。信仰の時代であり、懐疑の時代でもあった。

混沌の中で、自分の世界の見方を持ち続けたい。二十年前、会社を創ったとき、つけた名前にもその思いが込められている。「律創」、混乱の中に規律を見出し、そこから新しい秩序を創る。

試してみたい方はこちら 👉 paulkuo.tw